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シンポジウムに参加するため,20日より金沢を訪れていました.名古屋からは総勢7名の出席.このシンポジウムは,私の恩師である坂野昇平先生が中心となって始められ,参加者の研究分野が多岐にわたるようになるのに呼応して,「ゲリラ・シンポジウム」→「変成岩シンポジウム」→「変成岩などシンポジウム」と名前を変えながら20年以上にわたって続いています.そして,今年は金沢の地で開催されました.




 残雪の医王山,浅野川と旭町・小立野・石引町方面


金沢は,坂野さんが約13年間を過ごされ,今回の参加者のうちの何人かもその時間を共有した地です.坂野さんがそこでのシンポジュウムに参加されることなく,先を急がれてしまったことが,ほんとうに残念でなりません.
今年のシンポジウムでは,例年以上に「変成岩」というキーワードを越えて多くの分野の人から話題提供がありました.そして,最初の頃のシンポジウムを思い出し,時の流れを感じました.しかし,坂野さんがシンポジウムを立ち上げられ,そこにこめられた思いは,私たちの次の世代にも確実に伝わっていたように思います.坂野先生,今年のシンポジウムをどのようにご覧になられましたか.(え)
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金沢に来ています.
Higashinoさんが保管されている試料から,今はダム湖に沈んだ銅山川沿いの露頭で採取された試料をお借りするため,白山麓にある白山自然保護センターを訪れた帰りです.
Higashinoさんは,四国中央部三波川帯の広域変成分帯を,20年間近くかけて,ほとんどお一人でまとめられた方です().短期間にあるレベルの成果を出すことを半ば強要されている昨今,Higashinoさんが行われたような研究を続け,それを世に問うことは,もはや無理なのかも知れません.
しかし,このような息の長い仕事があったからこそ,三波川変成帯を対象とした,D論を含めた多くの論文が,続いて世に出たことは自明です.Higashinoさんの仕事がなかったら,少なくとも今ある私のD論は存在しなかったでしょうし,たとえ書かれたとしても,全く別の内容になっていたでしょう.
そんなことを思いつつ,Hagashinoさんたちと楽しく深酒をした金沢の夜でした.(え)
超短期四国フィールド調査(現地滞在24時間)から帰って,カウンター記録を見ると,10/20のアクセスが,前日までの平均の約3倍に.しかも,岩鉱徒然草>>>岩鉱トップ.
何が起こったのか??? そして「伊藤剛のトカトントニズム」からのトラックバックを発見.
同ブログの人気のおこぼれに与っていたのでした.(え)
院生のM君が,高知県嶺北・汗見川の上流にこもって,地質調査をしています.
汗見川は,南下すると四国三郎「吉野川」に合流します.出合から少し上流の吉野川流域には,四国の水瓶「早明浦ダム」があります.
今日,同ダムの貯水率が0%になったとのことです.地元,大川村は早明浦ダム情報を発信しており,それによると,今年は3年ぶりに大川村役場の旧庁舎が湖底から顔を出したそうです.
都城先生の訃報に接してから間もないのに,今度は坂野先生をお見送りせねばならないとは.あまりにも早いお別れでした.

私が学生の頃,研究の上では厳しくて怖い先生でした.ゼミでの発表の準備と当日の緊張を,今でも思い出します.先生と学生の間の緊張感.私たち若造をも,研究の上では対等に遇していただいていたからでしょう.

一方で,ふとお見せになる優しさも.車の助手席に乗せていただいたことがあります.道ばたにいる小さい子供の横を,あまりもスピードを落として通り過ぎられるので,不遜にも「先生って,運転が慎重なんですね.」というと,「君も子供がいるようになるとわかるよ.」と言われた先生を思い出します.今から33年前の春のことです.

岩鉱徒然草の趣旨には,少しあわない内容かもしれませんが,誰かに知ってもらいたくて書きました.合掌(え)

こちらにも,坂野先生への思いを綴られたブログがあります.
岡目八目火山
展示会四方山話
岡目八目火山山
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